ファイト・クラブ 不眠・石鹸・破壊・規制
ファイトクラブという作品を知っているだろうか? 知っているのなら、あのルール1つ目と2つ目について、突っ込まないでもらいたい。さて、本作は20年以上前の名作で、その人気はイギリス(エンパイヤ紙)での調査「歴代最高の映画ランキング500」の結果で『ファイト・クラブ』が10位にランクインしたほど高い人気を持つ。
その物語の訴えるテーマ性は現代の生きているという「実感」が感じにくく、無機質になっていく社会に生きる人々に強く刺さる一方で、劇薬のようなその内容は激しい反発を生んでいる。
それ故に、ここでも最近中国において、 ラストシーンが完全に変わってしまった。ビルの爆破シーンはなくなり、代わりに黒い画面に「警察は迅速に計画の全貌を突き止め、犯罪者全員を逮捕し、爆発を未然に防ぐことに成功した」というメッセージが流れる。物語の意味が無意味な結末に変更された。
これはもちろん、お隣の国の話だが、それでは原作ではどうだろうか? 実は原作者が「中国はある意味で、映画版を少し『本』に近づけたのです」と皮肉を交えだが、こう言っている。実際にその側面は存在する。映画と原作小説ではラストシーンの意味合いは変わっているのだ。
本作は「映画版」の前に「原作」が存在する。ただ、日本では映画版が大きくヒットしたが、原作は読まれていることが残念ながら少ない。この原作は、現在ではある意味、面白く不思議な立ち位置になっている。
そもそもからして、映画版というのは実はマイルドに作られている。映像表現として、過激な主人公の独白的な地の文はかなり省略されたため、文章として読むと主人公の現実に嫌気をさす感覚が随所から伝わって、表現の面白さや生活の中での不眠のような苦悩が、鈍痛のように襲ってくる。
ただ、20年も前の本で、状態良く入手するのは難しいと思われるかもしれないが、改訳新板が出版されているので、安心できる。
現代で日常に対して、鬱々とした感情を抱え、一緒の自滅的な破壊衝動に、人生を任せたい人向けの作品だ。現実を生きる上で、怒りとフラストレーションを創作の世界、頭の中の空想で、繰り広げることはきっと、「まとも」に生きるには必要なことだ。